
昨年は、悪天候で実行できなかった剱沢大滝登攀。今年は、お盆過ぎから天候が安定し、いよいよ実行の時は来た。
出発直前の天気予報、三日目が「曇り後雨」に変わった。天気に対する2人の考えが完全に合致しているわけではないが、三日目の午後、予定では雨に影響されるところは過ぎているはずであり、また大崩れする予報でもないので、変更はなかった。
扇沢の駐車場、山は満天の星空で我々を迎えてくれた。車中で眠り、快晴の下、出発の時を迎えた。ハーネスを身体につけ、荷物の重量を計ると、浅野が17kg(バイル含む)、榎本が19kg(バイル外す)。登攀時には調整しようと話しながら、トロリーバスに乗り込んだ。
トロリーバスを降りて、すぐに歩き出す。旧日電歩道は、「鳴沢小沢」の看板あたりまでは、草も刈ってあり快適に歩く。その後は、草が足元を若干覆って、気持ち、速度が落ちるが支障なく歩く。岩壁をトラバースするようになっても残雪はなく、板が外れている所も鉄杭+番線の手すりと岩のスタンスで全く問題ない。別山出合の膨大な雪渓には、シュルンドが狭まった所から容易に這い上がれた(翌日は、垂直にはしごがかけられていた)。対岸にはうまい具合に雪がつながっていた(こちらは、翌日、水平方向のはしごがかけられていた)。この先で、作業員数名の方々とすれ違い、第一の核心部であるこの歩道の目途が立った。
11:25、十字峡に着く。ここまで「3ピッチ、休憩入れて4時間」は、この時期にしては上出来か。条件が良かっただけに、速いパーティなら30分以上は速かったかもしれないが。
別山北尾根の踏み跡ははっきりしており、赤布もあって歩きやすかった。途中に慰霊碑があり、それは私の出身大学の山岳部(私はワンゲル)のものだった。私の入学前のこととはいえ、全く知らなかったことであり、驚いた。
それなりの時間、順調に辿ったが、踏み跡は突然、なくなった(ように感じた)。トラバース+下降ができる地形だったこともあり、ここより沢に向けて沢登りモードに移る。資料では、ルンゼを懸垂2ピッチ(フィックスあり)だが、未確認のまま下降に入る。痩せた支尾根にぶつかり、登り返しも考えるが、そこから懸垂下降をして小ルンゼに下りることにする(支点を掛け直す作業あり)。20mほど懸垂下降し、20mほど下に流れを見る地点に至る。上流に向けてトラバースしないといけないことを知るが、微妙なトラーバースと下降をつなげて、無事に川原に降り立った。ルートは既存のものではなかったが、時間的にもロスなく(それ以上?)来れたと自然と気分が高まった。
ここからは、ある意味での核心となる、剱沢下流部の徒渉である。雪渓(残雪)は少ない年のはずとはいえ、梅雨明けもおぼろげで、8月中旬までの長雨は、水量に影響を与えているはずである。が、幸い、絶望的な徒渉になる様子はなく、水面上の岩には10センチほど色が変わった部分が見られ、いつが基準になるかは分からないが、それだけ水量が減っていることが分かる。事実、スクラム徒渉や限界の徒渉はしなかった。その代わりなのか、水面下に隠れた岩を飛び伝う徒渉が何度も出てきて、これをこなさなくてはならない(これとて、過去の経験から特別な状況ではないと、この時点では私は思っていた)。しかしながら、随所に白泡渦巻く落ち込みが見られ、徒渉の失敗は許されない。
榎本君が先行して徒渉ルートを開いていくが、恥ずかしながら、日電歩道でのアプローチで、私は脚の筋肉に相当以上の疲労を感じていた。ある落ち込みを渡るところで、私が先行することになり、私はここだと思い、流れの下の岩に足を置き、気分良くジャンプしようとしたところ、あっさり足元を流れにすくわれ、落ち込み下の釜の渦に落とされていた。「うわっ」と思った瞬間には身体を宙を舞い、背中から釜に落ちて身体が沈んだ。まずいと思った直後、浮かび上がった身体は運良く流芯から外れ、立つことができた。これまた、運良く側壁をへつって上流に戻ることができた。これは、まだ笑い話の範疇で余裕だった。
左岸支流を分けたところは、広い川幅いっぱいに滝のようになっており、左岸を巻いて通過する。その後も飛び石伝いの徒渉をきわどくこなして、岩間滝に着く。左岸のトラバースルートは、残置ボルトと何箇所も切れて醜く垂れ下がった残置ロープがあり、予想より高く長いように感じた。が、それよりも、今いる場所は流れのど真ん中で、取り付きに行くには深く強い流れを渡らなければならない。すぐ下には、小さな落ち込みと渦巻く流れが続いている。ロープをつけて流芯を飛び越えて側壁に、と榎本君から提案されたが、失敗したらロープを着けていても流れから脱出できないのではと、私は否定した。勿論、行く人は行くのだろうし、それくらいやらないとここは通過できない、つまりは剱沢を成功させられないとも思ったが、私は正直にならざるを得なかった。
右岸にもボルト連打の長いトラバースルートがあったが、要所要所、支点が抜けており、それを全て自分達で作って通過するのは時間と労力がかかり過ぎなのは目に見えており、行程の遅れを意味する。二つの既存のルートの選択はなくなった。
普通ならここで撤退であるが、そうはならないのが「沢屋」なのだろうか。今いる場所の目の前には、文字どおり「滝」の「間」の「岩」が1m(位)の流れをはさんで、緩い「リッジ」状に鎮座しているのだ。ここに着いた瞬間、なぜそれがルートになっていないのかと一瞬頭をよぎったが、今、それが最終選択となった。こういう時、榎本君の独創的な創意工夫は素晴らしい。かつて、下田の白根沢のCS越えを思い出した。1回では成功しなかったが、新ルート?を開くのに、そう時間はかからなかった。既存のルートを行った場合より、速かったか同タイムだろう。詳細は、ここでは語らないが、かくして我々は剱沢大滝への関門を突破したのだった。
I滝が間近なのは、周辺の雰囲気で分かった。下流部最後の徒渉、水面下の岩を3〜4個伝い歩く際、私は「つまづいた」が、表向き、問題はなかった。が、内心、ものすごく焦った。と同時に、忘れていた脚の疲労のひどさを痛感した。(徒渉はこれで終わる)
I滝が目の前に現れた。天気が変わったと思うくらいの水しぶきと風だった。右岸から大凹角ルンゼのある左岸へと移る動作の中で、I滝を見る角度が変わるのだが、それが変わるたびに微妙に違う美しさを感じた。

時、既に15:30過ぎ。進むしかない我々は、この時刻がどのくらい遅れているのかを確かめる時間はなかった。足早に大凹角ルンゼに入り、それを上がっていく。
記憶にある資料の一つに、「簡単な岩場を登って取り付きに」とあったが、ルンゼはだんだん厳しくなり、そろそろロープを、と思ったところに錆びた古いハーケンが一つあり、そこから登攀体制に入る。クライミングシューズに履き替え、ロープをつける。榎本君が、手際よく登攀体制に入り、リードしていく。壁は立っており、すぐに姿が見えなくなる。ハーケンを打つ子気味良い音がしてからしばらくすると、ロープの伸びが鈍る。結構な時間が経ったなと思った頃、榎本君から「ロアダウン」のコールがかかった。そして、ビレイ解除の声。私は、一箇所ユマーリングで登り、榎本君と合流する。榎本君から、上部が越えられず、ひとまず降りてこの先どうするかの検討をしようと思ったと告げられる。資料でルートを見直してから、2人で協議する。上部を荷揚げで越えてこの先に進むか、撤退するかという提言だった。広さ一畳強のテラスがあり、そこで泊まることも協議した。私は、榎本君から撤退の選択肢が出たのを素直に受け止めて、撤退を進言した。主な理由は、岩間滝の既存ルートやこのピッチの登攀が、想定以上のものだったことだ。私の進言を榎本君は受け入れてくれ、上部の再チャレンジに未練を残しながらも、潔く、即撤退となった。
複雑になったロープを慎重に抜いて、50mダブルの懸垂下降。榎本君の手際良さと私のもたつきが重くのしかかる。懸垂下降は1ピッチで終え、クライムダウンで滝下に降りる。更に、幕営適地を求めての沢下降だが、夕暮れと競争だ。岩間滝もすんなり下り、事故現場に至る。先行した榎本君はルートを探しながら、私に「ちょっと待って」と言ったのだが、私はその場で待たずに榎本君のいる場所に近づいてしまった。そして、流され、数箇所の打撲という負傷を追い、夕闇の中のビバークとなった。いろんな意味で長い夜だった。

快晴の朝だった。私にとっては、大滝登攀撤退の無念よりも、無事でよかったという思いと怪我や下山の徒渉の不安のほうが大きな下山となった。榎本君が荷物のほとんどを担ぎ、的確な徒渉ルートを開いてくれたので、無事に沢下降ができた。北尾根に上がるルートも、正規のルンゼを見つけ、残置トラロープの助けもあって、問題なく支尾根に上がった。きれいにたたまれたクライミングロープが残置してあった。本来のルートを見つけられ、十字峡に下った。あとは、しっかり整備された日電歩道を歩くだけだった。
黒部ダム下に着き、最後の登りをこなして、駅に着いた。終わった。
榎本くんは、もっと軽量化すべきだったと悔やんでいた。今回、登攀時には私に荷物を移すはずだったが、それをする余裕はなかった。実際、実行していたとして、果たして私がフォローできたか? そんなことも含めて、たくさんの反省点が残った。